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ハワイ通への近道
Hawaiian Mastar

お仕事中の方はちょっと小休止。そうじゃないかたは・・・・のんびりタ~イム。
ハワイをこよなく愛するみなさんに、ハワイアンな歴史をちょこっとご紹介。 ”歴史なんてもう知っているよ”という方も今一度ここでおさらいしてくださいナ。

アロハシャツ Aloha Shirts~ミックスプレートが生んだアロハシャツ~

ミックスプレートなハワイ
ひとつのお皿にさまざまな国のおかずとご飯が一緒に盛り付けられてた、ハワイで人気のメニューの「ミックスプレート」。そのルーツは、1920年代~1930年代ハワイへ移民としてやってきたさまざまな国の労働者が、厳しいサトウキビ労働の中で唯一の楽しみだった昼食のお弁当のおかずを、おすそ分けしあったのが始まりといわれています。この言葉はメニューだけでなく多様な文化の融合を示す言葉としても使われ、多文化社会ハワイを象徴する言葉となりました。

そんな時代に生まれたのがアロハシャツ!
女性達は裁縫を学び、自国から持ってきた着物利用し、ハワイの生活に適したアメリカ式開襟の半そで作業着に仕立て直したそうです。常夏ハワイでサトウキビ労働するには着物は適さなかったんでしょうね。さすがアイデアマン日本人!袖を通す機会の無くなった着物を器用にもシャツに変身させるなんて・・・すばらしい!

そんな着物作業着に目をつけたのがエラリーチュン
アロハシャツの起源とされる着物シャツがエラリーチュンの目に留まり、アメリカYale大学の経済学卒業後に地元ハワイのダウンタウンで、雑貨店を経営する父の後を継いで姉と共に着物シャツを売り出した。明るい柄の着物シャツは、瞬く間に地元住人やワイキキのサーファーの間ではやり、ハリウッド映画スターやハワイ観光客らが着用したことによって大ブレイク、そのうわさを聞いてお客が殺到したそうです。その後エラリーの姉のEthelのデザインでヤシの木、フラガール、パイナップルのシャツが登場し、アジアンテイストな着物柄から現在のようなハワイアンスタイルのアロハシャツに変わっていきました。

今も人々に愛され続けているアロハシャツは、ミックスプレートの中でハワイ日本人移民の生活の知恵とアイデアから生まれたものでした。ちなみに正式に「アロハシャツ」と名づけられたのは1936年にエラリーが商標登録してからということです。

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ハワイアンジュエリー Hawaiian Jewelry~愛がこもったハワイ伝統のジュエリー~

ハワイアンジュエリーハワイの多くの女性がひとつは身につけているハワイアン・ジュエリー。指輪やバングル(鎖ではなくプレート状のブレスレット)が一般的で、素材は14Kゴールドです。草花をデザイン化した柄を彫りこみ、名前や言葉を黒いエナメルで焼きつけてあります。 最近は日本人女性の間でもすっかりお馴染みで、とくにフラやサーフィン好きの女性には、「ハワイ通の証」のように浸透しつつあります。 このハワイアン・ジュエリー、その誕生物語を知ると、単なる美を追求したアクセサリーではないことがわかります。そして、ハワイの人たちがとても大切にしている愛のジュエリーであることも。

ハワイアンジュエリーの歴史はハワイ王朝最後の女王さま、リリウオカラニが身につけたことから始まりました。1800年代のハワイは、カメハメハ大王が制定した王朝の時代。イギリス王室とハワイ王朝は交友関係にありました。そんな時代の1865年、英国ではビクトリア女王の夫であるアルバート王子崩御を追悼するために、宮廷の女性が黒をアクセントにした金の喪中用ジュエリーを身につけていたのです。それを聞いたリリウオカラニは自分も哀悼の意を表すために、そのジュエリーを模して作らせ、自らも身につけました。彼女のブレスレットに刻まれたのは、ホオマナオ・マウという言葉。ハワイ語で“永遠なる思い”でした。 その後もリリウオカラニは、いろいろな言葉を刻んだジュエリーを身につけ、友人へ贈ったりもしていました。それがハワイの人々の間に広まり、親から娘へ、恋人へ、愛する人へハワイアン・ジュエリーを贈るようになったのです。

ハワイではたとえば娘が生まれた時、お母さんがその娘の名前を刻んだバングルを作り身につけます。そしてその娘が大きくなった時、母から娘へ愛を込めて贈るのです。子供が息子なら、きっとその息子の未来のお嫁さんへ母のバングルはプレゼントされるのでしょう。すてきな習慣ですよね。フラやサーフィンを知らなくても、身につけたくなる「愛のジュエリー」だと思いませんか?

最近は、伝統的なビクトリアン・デザインだけでなく、マイレやプルメリア柄、花型のピースをつなげたフラワー・ジュエリーなど、いろいろなハワイアン・ジュエリーが見られます。名前も黒エナメル以外にも色エナメルを使用したり、エナメルなしの浮き彫りタイプも人気です。それにハワイでは14Kゴールドが主流ですが、18K好きの日本人には材質をアレンジして作ることも。ほかにもシルバーやプラチナ、ピンク・ゴールドなどもありますから、予算や好みに合わせて好きな物を選んでくださいね。

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ハワイアンキルト Hawaiian Quilt ~美しいハワイの自然を縫いあげるキルト~

ハワイアンキルトクッション古代ハワイに布は存在しませんでした。樹皮をたたいてなめしたタパと呼ばれるものを身体に巻いて、スカートやふんどしにしていたのです。では、いつ、布が入ってきたのでしょうか。

1820年代にボストンからハワイへやって来たキリスト教宣教師。その妻たちが、布と針をハワイへ持ってきました。最初にパッチワークを教わったのはハワイ王族の女性たちでした。ニューイングランド様式のパッチワークやアップリケを学んだそうです。余談ですが、それまでハワイには布がなかったので当然、余り布もありません。そこで、宣教師の妻たちが持っていた布をわざと細かく切り分け、それを縫い合わせていったとか。もともとアメリカン・キルトは余り布をパッチワークするリサイクルでしたが、ハワイではわざわざ1枚布を切ってまた縫い合わせていたというのですから、本末転倒というか、可笑しくも微笑ましい話ですね。

現在のハワイアン・キルトは、1枚の地布の上に、模様になる柄に切り取った別布を乗せ、それをかがり縫ってアップリケします。そして、もう1枚の地布との間にキルト芯をはさみ、柄の周囲を幾重にも縫って仕上げるのです。ちょうど水面に広がる波紋のように、ステッチをかけることから、エコー・キルティングとも呼ばれます。昔、宣教師の妻たちからハワイへ伝わったアメリカン・キルトと比べると、ハワイアン・キルトはずいぶん趣きを違えて今のような独特なキルトになりました。

ハワイアン・キルト誕生のストーリー は諸説ありますが、いちばん説得力と夢があるのが、こ のお話です。 ハワイの女性が針を持つようになってほどなく、ある女性が大きなブレッドフルーツ(パンの木)の下で、ひざに布を広げて縫い物をしていました。その時、頭上で揺れる木の葉の影が布の上にゆらゆら映し出されました。それがインスピレーションとなって、葉をデザイン化した柄のキルトを縫ったのだそうです。 以来、ハワイでは花や葉をデザインした柄を地布に縫いつけて作るキルトが盛んになり、現在のハワイアン・キルトが出来あがったのです。

HawaiianQuilt博物館などには、王家の紋章やハワイ国旗をキルトしたものも多く残されていますが、現代キルトのほとんどはプルメリアやハイビスカス、ロケラニ(マウイ島のバラ)や、イリマ(高貴とされる黄色い花でオアフ島の花)、それにラワエやマイリの葉など、ハワイの植物をモチーフにデザインされたものがほとんど です。 手縫いですからクッションカバーでも早くて2週間、壁掛けやベッドカバーといった大物になると数ヶ月から半年以上もかかります。が、そのぶん、ハワイアン・キルトの価値は高く評価され、ハワイの高級ホテルではロビーにキルトのタペストリーが飾られていて、それはホテルの誇りでもあります。 ハワイでは自分で縫って大切な人へ贈ったりするのが一般的ですが、最近はインテリア小物としてハワイアン・キルトのテーブルマットやメガネケース、トートバッグなども手頃な値段で買うことができます。ハワイの植物をモチーフにしたハワイアン・キルト・グッズは、ハワイのおみやげにも喜ばれるアイテムになっています。


ハワイアンキルトパターン例

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ウクレレ Ukulele ~ウクレレは、メイド・イン・ハワイの代名詞~

ウクレレの歴史 世界的に知られる、メイド・イン・ハワイのモノといえば、やっぱりウクレレです。日本ではずいぶん昔、牧伸二氏が「あ~あァヤンなっっちゃった」とウクレレ片手に歌謡漫談で人気を博したせいか、ウクレレには妙にひょうきんなイメージがついてまわったものです。(この話、若い人には、ピンとこないかもしれませんが。わからない人は、アナタが若いということ。わかる人は…) けれど、ハワイではもちろんコメディアンの小道具ではありません。ハワイアン音楽や現代フラダンスの演奏に、あの軽快な音は欠かせませんし、公園のベンチや道端でウクレレをぽろぽろ鳴らしている人をよく見かけます。ウクレレを弾くことは特別なことではないのです。ごく自然にハワイの生活に溶けこんでいます。しかも数年前にハワイアン・ミュージック界に現れた新星、天才ウクレレ小僧のジェイク・シマブクロの活躍によっても、ウクレレを弾く子供たちが増えています。 日本でも、最近のハワイアン・ブーム再来によって、またウクレレに脚光が当たっていますね。

ウクレレの歴史は、それほど古い話ではありません。ウクレレの原型になったのは、1879年にハワイへ移民してきたポルトガル人が持ちこんだ、プラキンハと呼ばれる小型ギターでした。そしてウクレレを初めて作ったのは、マニュエル・ヌネスというポルトガル人。どこへでも手軽に持ち歩けて、気軽に演奏できる新しい楽器は、当時のハワイ王朝のカラカウア王に気に入られ、あっという間に世間に広まりました。そして1916年に、ヌネス氏直伝のウクレレ作りを習得したサミュエル・K・カマカという人が、ハワイのウクレレ・メーカーとして名を馳せる老舗、カマカ・ウクレレを創設したのです。

ウクレレ手作りキット長い間、ウクレレといえばカマカというくらい、カマカ時代が続きましたが、最近は、いろいろなウクレレ会社がそれぞれの特長をいかしたウクレレを作っています。素材としてはやはりコア が、見た目の美しさと乾いて響く 音色で人気ですが、マホガニーやマンゴ にもいいウクレレがたくさんあります。メーカーや素材にこだわるのではなく、予算や音の好みで選ぶ時代になったと言えるでしょう。 そして、ウクレレは、やはりハワイで買うのがおすすめです。日本へ輸送するのだから日本での市価が高いのは当然ですが、それにしてもハワイと日本の価格差は大きい。日本では、ハワイ製コアのソプラノとなれば最低5万円。メーカーものとなれば8万円ほどでしょうか。でも、ハワイなら…。 ウクレレが1本手元にあると、音楽が身近になります。3~4つくらいコードを覚えたら、すぐに弾けるハワイアン・ソングはたくさんあります。「カイマナヒラ」「サーフ」、ハワイアンではありませんが、お誕生祝いの「ハッピー・バースディ」だって3コードでOK。仕事や勉強に疲れた時、ウクレレで陽気に歌ったら、毎日がきっと楽しくなるはずですよ。

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